ALL FOR ONE & ONE FOR ALL!。

当時は何も思わなかったけれど、久しぶりにこの映像を観ると万感の想いが溢れる。
℃-uteの村上さんや、ベリの舞波ちゃんがいる。
あさみさんや、みうなさんがいる。
美勇伝が健在だったし。
おおっ、アヤカさんもいるじゃん。
そういえば、あの時、なっちさんは大変だったんだよなあ。
なんて、思い出さなくてもいい事まで思い出しちゃったり。
まさに、自分が情熱を注ぎ込んだハロプロの全てがここにある。って感じ。
心がしんみりするのは懐かしいからだよね。
懐かしいのにもう会えないひとがいるから。
生きた証って云ったら大げさだけど、この映像は大切にしたいと思う。

ドリムス。

日本テレビ「Music Lovers」にドリームモーニング娘。が出演。
モーニング娘。推しのファンからしてみれば、「卒業したくせに今更ドリムス。ってなによ。」ってな感じなのだろうが、往年のメンバーがっつりだった自分にしてみれば、安心して観ていられるっていうのかな、やたらこちらのほうが落ち着く。
「やっぱ、目ヂカラが違うわな。」なんて独りごちてみたりしてね。w
期間限定ユニットとばかり思っていたら新曲がリリースされてちょっとびっくりしたが、大人の色香を漂わせながら歌う姿がとても良い雰囲気を醸していて今更ながら見惚れてしまった。
ただ、娘。を卒業したメンバーが全員エスカレーター式にドリムス。参入というのは如何なものか。とも思える。
誰を参入させて、誰を参入させないか、基準がないだけに悩ましい。

フランス興行。

桃子ちゃん、雅ちゃん、愛理ちゃん、ムーラン・ルージュでのライブご苦労様でした。
海外公演、しかも、有名な会場で歌えるなんて奇跡だと思う。
たくさんのファンが駆けつけてくれたみたいでアップされた動画から大盛況だった事が伺えました。

Buono! の海外での知名度は、殆どハロプロモーニング娘。)人気の延長線上にあるのだと思う。
けれども、彼女たちの事をアニメで知ったひともいるんじゃないのかな。
つまり、純粋に Buono! のファンとして集まってくれたひともいるだろうってこと。
このライブによって、Buono! のアーティストとしての評価が高まったのは間違いない。
日本民族は海外で絶賛されました的な経歴が大好物だからね。w
それから、今回の経験は彼女たち一人ひとりの音楽性を豊かにするのにかなり役立ったのではないのかな。
音響の拡がりも、歌声の伝わり方も、日本の会場とは何処か違っていただろうし、これから音楽を続けていく過程で自分たちなりのこだわりを打ち出していける気がする。
今回は仕事のための渡航だったけれど、異国の街並みは若い3人にとって忘れられない想い出になっただろう。
この幸運、本当に良かった。

比那子の思惑。

比那子は「呪い」によって何がしたかったのか。
そもそも、この映画はホラーと呼べるのだろうか。
わだかまりを解消するために原作を読んでみた。
「呪い」がモチーフだが比那子から怨念が感じられない。
比那子は探求者だったのだろう。
いじめに対するささやかな反抗を発端に「呪い」に興味を覚えた彼女は「呪い」の可能性を突き詰めていく。
理論的な観点で「呪い」を分析し自分なりの体系を構築しようと試みる。
そして、比那子の「呪い」は完成した。
ただ、彼女が生み出したものは「呪い」の範疇を超えていると思える。
魔道書と呼ばれる文献がある。
魔道書といえば魔術や呪術などの知識、奥義が書かれた書物を指すのだが、魔道書の中にはそれ自体に生命が宿ると云われている代物が存在する。
比那子が生み出したものは、まさにそれだったのだろう。
比那子はそれなりに由香のことを評価していたのだと思う。
比那子が由香に対してだけ饒舌になったのは彼女が「呪い」を認識し意見してきたからだ。
「呪い」は比那子にとって研究成果だった。
比那子は由香からの糾弾を自身の功績に対する賞賛のように聞いていたのかもしれない。
だから、比那子は由香に賭けることにした。
「呪い」を記したメールを由香にあえて送り「呪い」の解除方法を研究してみたらと持ちかけることで彼女に最後の仕上げを託したのだ。
そして、由香は比那子の思惑通り行動した。
彼女の助力によって黒羽比那子という名の魔道書が胎動を始めたのだ。
余談。
「呪い」が生み出される過程を記した黒羽比那子の章よりも、「呪い」が蔓延した後の章「浦野祐子の手紙」の方がきつい。
読んでいて気分が悪くなった。(汗

映画「ゴメンナサイ」所感。

「呪い」というのは制作側にとって都合の良い題材だと思う。
虚空から人間が現れようが、一瞬にして首が飛ぼうが何でもアリとなる。
常識ではありえない事象であっても、それが「呪い」という何だかわからない力であれば容認せざるを得ないからだ。
だから、怪異のおぞましさ(吃驚するとか、ゾッとするとか)に着目した映画が作られる。
それが一般的であり、でなければ売れない。
そういった観点からすれば、本編はかなりマニアックな作品だと思える。
何をして「呪い」とし、相手にどうすれば「呪い」を効果的に作用させられるか。
「呪い」は得体が知れない怨念の一人歩きなのでは決してなく叡智の結集である。
そういった観点で作られていたからだ。
そして、この映画の怖さは本編とは別の部分にある。
机に映っている詩織、由香、比那子の影が、桃子、愛理、雅となっている画像が公式サイトに掲載されているが、その画像がすべてを物語っていた気がする。
実際に観ないと実感できないだろうが、この映画は虚像(詩織、由香、比那子)と実像(桃子、愛理、雅)を曖昧にするような作り方がしてあったのだ。
観終わった後の落ち着かない気持ちが比那子の「呪い」に掛かったようでやたら怖くなった。
余談。
自分はお化け映えする女優さんが大好きです。
菅野美穂さん、栗山千明さん、佐伯日菜子さん、彼女たちが醸す妖しい雰囲気に惹かれるのでしょうね。
という事で、ニタリと笑うブラック雅ちゃん、かなり素敵でした。

懊悩

たまに、亜弥さんについて書き込みする。
思いついたように書くのだが、自分は彼女の過去しか見ていないと思う。
亜弥さんの楽曲は、彼女がアイドル全盛の時に感じていた想い・辛さをメディアに吐露していた頃、つまり、脱アイドルを目指し始めた辺りからぐっと大人びたものに変化した。
喜ばしい事だと思った。
そう思ったのだが、自分はその曲調をあまり好きになれなかった。
自分は身勝手だと思った。
脱アイドルを待ちわびていたはずなのにアーティストとして次のステップに進もうとしている彼女に同調できなかったからだ。
どれも一般ウケする曲調ではない気がした、マニアックに感じられるのは彼女の才能を余すことなく盛り込もうとする作り手の意図があるのかもしれない。
尤も、こんな風に感じるのは自分だけでこの曲調が一般的に好評であるのならそれでいいが。
だったら、どんな曲調ならば自分は満足できるのだろう…。
わからない。
わからないから先が見えない。
だから、自分は彼女の過去ばかりを追ってしまうのだろう。
亜弥さんは、美空ひばりさんのような存在であってほしい。
自分の中にその想いだけがある。

未だ夢をみている。

松浦亜弥は、美空ひばりさんと同質のもの(カリスマ性)を内在させている。
彼女が、女優をしても、司会をしても、一見、ピンと来ないように映ってしまうのは似合っていないからではなく感じる側が違和感をもってしまうからだろう。
彼女は歌手なのだ。
彼女を知るものすべての心がそれを認識している。
アイドルとして誕生し、その人気が全盛を迎え、今に至る過程において、そう感じるように彼女の放つオーラが刷り込んできたのだから。
彼女を知らぬものが居たとする、そのものは歌声を体感した瞬間に気づくだろう。
本物なのだから。
だから、歌うべきなのだ。