ミキティが娘。に参入した裏事情。(再考)


藤本美貴モーニング娘。参入の事情について考える。

テキストサイト「MOERO」
わたしの敬愛するムササビさんのサイトである。
そこのBBS「燃えろ!SALOON」で提起された記事№81について書いてみる。


わたしは以前、「2003-08-09 ミキティが娘。に参入した裏事情。」で
ミキティモーニング娘。に参入される経緯を大妄想したわけだが、今回は
妄想なし、至極真面目に考察する。


着目点:  デビューまでの充電期間。


   後藤真希
     1999年 8月 モーニング娘。参入決定。同月23日初披露。


   松浦亜弥
     2000年 7月 モーニング娘。平家みちよ妹分オーディション合格。
     2000年10月 「美少女日記」出演。
     2001年 4月 「ドッキドキLOVEメール」リリース。


   藤本美貴
     2000年4月  第4期オーディション落選。
     2002年3月  「会えない長い日曜日」リリース。


比較してわかるように、オーディションに落選したとはいえ、ミキティ
デビューまでに2年の充電期間を置いているのである。


資料不足かもしれない。2年間ずっと下積みであったかどうかが掴めない。
もし、2年間ずっと下積みであったのなら、UFAミキティに並々ならぬ
期待をしていた事になる。


松浦亜弥が世に出るまでは、アイドルなんて言葉は死語になりかけていた。
あややがアイドルの地位を復活させた。
彼女の場合はめっけものだった。
UFAも激ブレイクなんて全く予想していなかっただろう。
しかし、藤本美貴の場合は違う。
UFAはソロ藤本美貴を激マジで考えていた。
松浦亜弥をふまえ、アイドル育成を目的として下積みさせたのである。
藤本美貴は、まさに、UFAの秘蔵っ娘だったのだ。


2002年3月13日  会えない長い日曜日
2002年6月12日  そっと口づけてギュッと抱きしめて
2002年9月 4日  ロマンティック浮かれモード
2002年11月7日  ボーイフレンド


実績がそれを裏付ける。
あややが土台を築いてくれていたとはいえ、デビューしていきなり紅白出場
なのである。
藤本美貴UFAの期待に120%答えた。


では、何故、今更モーニング娘。参入なのか。


福田明日香がぬけた時はどうしようかと思いました。」


QuickJapan vol.50 「天然最強少女 ソニン」でモーニング娘。の元マネー
ジャー和田氏がこんなコメントをしていたのを思い出した。


不平、不満、惜別、激情。
モーニング娘。から誰かが卒業していく時、ヲタの感情はUFAに対して爆発
する。
UFA側の苦悩など何も考えていないのだ。


市井紗耶香
中澤裕子
後藤真希
保田圭
ひとりでもたいへんなのに、ミキティの参入決定までにこれだけの面子、
しかも、ベテランの卒業が絡んでくる。


安倍なつみ
半年後には、モーニング娘。の筆頭が旅立っていく。


テレビの企画から誕生したモーニング娘。
そして、日々、成長を続けている。
モーニング娘。はひとり歩きを始めてしまった。
簡単に息の根を止めることが出来ない状態まで大きくなってしまった。
モーニング娘をどう延命させるか。UFA首脳陣は困惑したと思う。


方策①  卒業したメンバーの復帰。
  恥も外聞も気にしない覚悟であれば可能であっただろう。
  UFA側というより、卒業していったメンバー本人が納得しなかった
  のではないだろうか。  


方策②  松浦亜弥モーニング娘。参入。
  不可能だった。
  彼女はアイドル時代を復興し、アイドルの代名詞、金字塔になってしまっていた。
  彼女をモーニング娘。に参入させる事はプロジェクトの崩壊を意味していた。


方策③  藤本美貴モーニング娘。参入。
  彼女はモーニング娘。オーディション落選という過去があった。
  UFAの思惑はともかくモーニング娘。に組み入れる事は可能だった。


苦肉の策だった思う。
アイドルにすべく育ててきた藤本美貴モーニング娘。を背負わせなければ
ならなくなったのだ。
その話を聞かされた時、一番驚いたのは藤本美貴本人だったと思う。
UFAの思惑、ヲタの期待、全てのひとの意思に反して、モーニング娘。6期メン
藤本美貴が誕生した。


…・…・…・…・…・…・…・

大真面目で考察したつもりであったが、年表データを除けば、結局、大妄想
になってしまった。
しかし、今回はかなりいいところを突いている気がするのだか。