彼女との距離

近頃の亜弥さんは妙に輝いている気がする。
おっさんヲタが性懲りもなく歯の浮くような事を言っていると思われる
かもしれないが、本当にそう感じている。


大人びたせいなのか、何か目指すものができたのか。
(誰か好きなひとができたのかというのは思考から排除する)


うちのサイトがいい例で少し前まで亜弥ネタがないと漏らしていたにも
関わらず、近頃は俄然書きまくっている。
心境の変化は、ここの壁紙が亜弥さんに変わった時に始まったのかもし
れない。


メディアに彼女が現れる度に以前に比べどこかが変わった気がしてなら
ない。
彼女の意識が向上したからだと受け取りたいが、心配性のためそれさえも
パフォーマンスなのではないのだろうかと勘ぐってしまう。
よくない癖だと思う。


おそらく、彼女に何か変化があったわけではなく、わたしの心境が変化
しているのだろうと思われる。


わたしは、彼女をマドンナと観られなくなったのだ。


マドンナ(憧れの対象)と憧れている当事者との距離はかなり遠いと
思っている。
遠くから見つめているだけで満足出来るからこそマドンナなのだ。


マドンナという観念に、当人の気持ちや、思惑や、性格や、癖や、そん
な余分なものはいらない。
ただ綺麗で、輝いていて、こちらを恍惚とさせてくれる対象であればい
いと思っている。
そういう位置付けの相手だから、目が合ったり、思いもよらず話し掛け
られたりすると焦ってドギマギしてしまうのだ。
悪く言えば相手を人間として観ていないことになる。


亜弥さんをそういう対象に観られなくなった理由は、彼女が自分のこと
を語り始めたからに他ならない。
だから彼女に対する自分の意識も変化し始めたのだ。


今年の6/27(日)はわたしのために用意されたのだと思う。
自分勝手にそう思う。
何故なら、わたしの推し娘がふたりとも名古屋に集まるのだ。


必死さから抜け出したソニンさんと、緑色のサイリウムの頃よりひと回
り成長した亜弥さん。
聖なる日は、ふたりの活躍を思いっきり堪能してみたいと思う。