キル・ビル所見

いよいよ、「KILL BILL」が公開されました。
以前、「ハリウッド女優」でちーちゃん(栗山千明)の事を書きました。
ちーちゃんの事にふれたかっただけで映画は二の次のハズだったんです。
結局、しかも公開日に観に行っちゃいました。


凄かったですね。
日本刀で切断された、首、腕、足、人間のいろんなパーツが飛びまくります。
鮮血噴出しまくりです。


不思議な映画でしたね。
洋画なのに邦画を観ている様な感覚を味わいました。
字幕を眼で追っている感覚がない。
それもそのハズで、説明のあたるようなセリフとか、会話みたいなものは英語でしたが
大事なセリフ(粋なセリフ)は全部日本語なんです。
あちらの女優さんはたいへんな苦労をなさっています。
ちーちゃんはずっと日本語だったんで楽勝でしたね。


タランティーノ監督は、日本映画を創りたかったのでしょうね。
しかも往年のヤクザ映画を創ろうとしたのだと思います。
映画の冒頭で深作監督に捧ぐというメッセージが流れたり、途中で仁侠映画の楽曲が
挿入曲として流れたりします。


ルーシー・リュウさんって凄いですね。
観ているうちに日本人に見えてくる。どんどん化け始めるんです。
誰かに似てるな、誰だっけ?
かつて仁侠映画で少しだけ目にした事がある女優さんを模索していました。
ずっと気になって、うちに帰ってからネットを検索しました。
やはり、該当する記事が引っかかりました。
タランティーノ、憧れの日本女優と感激の対面!参照)


この映画、勧善懲悪じゃないんですよ。
ルーシー・リュウさん演じるオーレン・イシイにも悲しい過去があり、彼女なりの正義が
あるんです。
ザ・ブライド(ユマ・サーマン)とオーレン・イシイ(ルーシー・リュウ)それぞれが自分の
正義のため、意地のためぶつかり合うんです。


不思議に思ったことがありました。
数え切れないほどの人間がザ・ブライドに切り倒されていくのに何故か映像が重苦しくないんです。
邦画だったら必ず重苦しい映像になるのに…。
その理由を考えました。


邦画の場合は、一太刀をすごく大事に撮影するんです。
敵役との間、息遣い、刀が空気を切り裂く音、足裁きの音、そんなものをとても大事にする。
殺陣の場面はBGMなしで撮影される映画まであります。
だから、必ず切りかかるのは一人づつとなり、大勢が一気に切りかかるような映像はほとんど
ないんです。
KILL BILL」は、タランティーノ監督が意図的にそうしたのかそうなっていないようです。
だから殺陣の映像では、ザ・ブライドがまるで舞でも踊っているかのように流れていくんです。


本当の仕合いってそんなものなんだろうなって思います。
以前、合気道の演武のビデオを観た事がありました。
老師ひとりに大勢が一気に掴みかかろうとするのですが、老師はまるで自分が風船になったかのように、
ふわふわ楽しそうに切り抜けていました。
(本当に微笑んでいたので少し怖かったです)


あと、個人的に特筆したい事柄があります。
この映画に、宇宙刑事ギャバンと、キムタクが弁護士役をしたドラマ「HERO」の中に
出演していたバーのマスター(いつもキムタクが、「こんな料理置いてないでしょ?」って
尋ねると、不機嫌そうな顔で「あるよ!」って返事するひと)が出ているんです。
大葉健二さん(ギャバン)、田中要次さん(マスター)っていう方なんですが、とても大好きな
方々なんで激感動でした。


最後に、今回「KILL BILL」を観て一番ショックだった事を書きます。
映画の内容じゃありません。
日本刀で首や腕が吹っ飛ぶたびに、「いひひ…、うひひぃ…」って客席でウケていたイカレタ野郎が
いました。
あいつの神経は一体どうなっているんだか。
何故、そんなシーンで馬鹿笑いできるのか。
それが一番怖かったです。