規則性

自分が女の子に惹かれる場合、ある規則性がある事に気づいた。
松浦亜弥と、ソニン
夏焼雅と、 須藤茉麻
鈴木愛理と、村上愛
必ず、相対する二つの個性が選ばれる。
推す、支持するという異なった観念が同じ質量で心に存在しても違和感がない。
まるで太極の如く調和しているのだ。
この辺り、CLAMPの描く劇画の世界を連想させる。
敢えて言い換えれば、愛すべき女の子と、面白い女の子となるのだろうか。
この場合の「面白い」とは「目が離せない」という意味になる。
目が離せないから応援したくなるのだろう。
「推せる」と表現していい基準を自分なりに考えてみた。
対象となる女の子を視覚ではなく感覚で捉えた時、琴線に触れるものが感じられたのなら、その女の子は「推す」に値するのではないのだろうか。
意味不明な存在感があって気がつくといつもその子ばかりを目で追っている。
まるで生まれたての恋のように。
そういった心情から発展させれば「推せる」と「片想い」は同じレヴェルという事になる。
片想いは恋したものに幻想を魅させる。
形骸的なカリスマが生まれるため推しの対象について全肯定したくなるのだろう。
前述は、自分のもつ規則性の答えにならないだろうか。
愛すべき存在と、応援したくなる存在は同質の心情であっても根本的に違うという事の。