夢と現実

セクシーオトナジャンの「オンナ、哀しい、オトナ」の映像を観ていると見終わった後に寂しい後味が残ります。
それは、彼女たちがステージに向うために席を立つ映像だからです。
誰も居なくなった部屋の場面で終わるからです。
これによって彼女たちの遣る瀬無い気持ちが伝わって来ます。


彼女たちは、歌いたいという夢のためじゃなく、食べていかなければならないという現実のために歌っている歌手なのです。
歌を始めた頃は希望に輝いていたでしょう、でも上手くいかなかった。
この映像はそういった背景を表現していると思います。


これと同じ後味を残す映像に、ソニンさんの「東京ミッドナイトロンリネス」があります。
カラオケボックスで一人ではしゃいでいた女の子がカラオケを終えて部屋を出て行きます。
誰も居ない部屋に縫ぐるみが置き去られています。
忘れ物に気づいた女の子が照れ笑いをしながら縫ぐるみを取りに戻る場面で映像は終わります。
こちらの場合は寂しいを通り越して物悲しくなります。
置き去られた縫ぐるみは女の子自身であり、自分を迎えに来てくれる存在をずっと待っている、そんな印象に伝わるからです。


二つの映像は全く違います、でも同じものを表現しようとしています。


化粧を落として、心を楽にして、楽屋は彼女たちにとって身も心も素顔に戻れる場所です。
そうやって浸っていた幸福な時間がステージの開始によって終わりを迎えます。


普段、引っ込み思案な性格でもカラオケボックスで夢中になって歌っている時は大胆でいられる、その瞬間だけはアイドルにだってなれる。
そうやって浸っていた幸福な時間が予約時間の終了によって終わりを迎えます。


これらが表現したかったものは夢から現実に引戻される悲哀だと思います。
そして、それが伝わるのは立場は違っても誰もがそういった部分を心に持っているからなのだろうなって思いました。