価値観


ベリ工に惹かれるのは、ただ可愛いからという理由だけではないと思います。
ただ可愛いからというひとも中にはいると思いますけれどね。


この間も少し書いたのですけれど、ベリ工に初期の頃の娘。を感じます。
何故そう言えるのかというとベリ工に受ける印象が、自分がまだ興味を持ってなかった頃の娘。に受けた印象に良く似ているからです。


順序立ててみると、
①彼女たちの楽曲の1フレーズが妙に心に残る。
②彼女たちのダンスの残像(ヒラヒラっていうのかな)が何かいい感じに思え始める。
③メンバーにお気に入りが出来る。
④メンバー全員を認識出来るようになる。
といった感じです。(ベリ工の場合は雅ちゃんありきという経緯がありますから③と①②の順序は入れ違いますけれど。)


モーニング娘。に傾倒していった真理みたいなものがあって、それが今の娘。に感じられなくなったとすれば、寂しさとか、不満とか、遣る瀬なさはおのずと生まれてきます。
そこに、その真理を受け継ぐものが現れれば惹かれるのは当然です。


娘。ファンがベリ工に流れたという経緯からベリ工ファンはキショイと思われがちですが、そもそもベリ工は生粋のアイドル路線ですし、過去に遡って考えてみてもアイドルのデビュー時期って小学校6年生ぐらいが順当だったハズです。
子供から少女に移ろう過程の初々しさ、妖しさみたいなものがアイドルに本来必要とされた要素だったのかもしれません。
それだから人形と表現されるです。
そう考えてみると、一つの人形に固執する事の方が異様といえるのかもしれません。
人形であればお気に入りが幾つあってもおかしくないし、一番のお気に入りが都度変化していくのは普通のことだと思えるからです。


人形という観点から面白い例えを思いつきました。
アニメ「機動戦士ガンダム」シリーズの世界をハロプロに例えます。
ガンダムに登場する人物も、メカも、背景(歴史)も全部に興味があるタイプ、ハロプロで言うのなら、これがDD(誰でも大好き)に当たると思います。
ガンダムの一つの物語だけに興味があるタイプ、ハロプロで言うのなら、これは娘。など特定のグループ推しでしょう。
ガンダムの登場人物の一人、若しくは特定のメカに興味があるタイプ、これをハロプロで言うのなら、亜弥さんのようなソロ推しになるのだと思います。
ガンダムについてメディアの媒体を楽しむだけのタイプ、ハロプロで言うのなら、これが在宅系のファンです。
そして、メディアの媒体を楽しむだけでは満足出来ず、ジオラマなどで自分の想う世界を表現していくタイプ、これを現場系のファンと置き換えることが出来ます。


それぞれが対象を人形と観ているか、恋人と観ているか、友達と観ているか、妹と観ているか、それによって感じ方や倫理観は全く変化します。
特定の推しを持つひとが、DD(誰でも大好き)を軽蔑するのは価値観の違いからです。
価値観の違うものの間での口論の場合、知識のない側は全くの主観で言及している事になり、議論自体が全くの無意味なのですね。


人形という観点であれば、DD(誰でも大好き)は当然だし、心変わりに罪の意識を感じる必要もありません。
ただ、人形に対してヲタとか、推しという表現は使って欲しくありません。
ヲタとか、推しは人間を指すものだと思っていますから。


ああ、そういえば、これも個人的な価値観でしたね。w