認識してもらいたいと思う欲求について


自分は亜弥さんと直接的な接触を望まないひとです。
握手会とか、ハワイでのイベントとか興味が持てないです。


ライブでは盛り上がりますよ、当然です。
でも、彼女と自分の間には見えないけれど明確な壁みたいなものを感じるんです。
幸運にも最前列の席が獲得できてライブの途中で亜弥さんと目が合ったとします、気分が高揚します。
それでも、その壁は忽然と存在し続けるのです。


うまく表現出来ないけれど、テレビを観ている感覚っていうんでしょうか。
ステージ上と客席は実は全然別の場所にあってその狭間には見えないだけで画面が存在しているというような。


こちらは亜弥さんを認識しているけれど、彼女の側からすれば雑多の中の一人なのですね。
もしかしたら一人じゃなくて一つなのかもしれない、物として観られているかもしれない、上がり性の人を舞台に立たせなければならない時によく言うじゃないですか、人じゃなくって南瓜だと思えって。


気の利いた言葉をカードに書いて持ち上げた時、亜弥さんがそこに書かれたメッセージに感動してくれたとしても、それはメッセージに感動してくれただけでそれを贈った本人を認識してくれたわけじゃないです。


無理に興味を惹こうと空気も読まずに声をかければ彼女は振り向いてくれるでしょう、でも喜んでくれていません、進行の妨げになって迷惑をかけているだけです。


握手会に行って激励して微笑んでもらえたとしても、ハワイで肩を組んでもらえたとしても、所詮は流れ作業って気がします。


自分って当たり前の事を言ってますね。
みんな納得ずくで、それでも亜弥さんとのふれ合いが欲しくてそういったイベントに参加しているのでしょう。
認識されないから興味が湧かないっていう心境は独占欲の裏返しなのでしょうか。
アニメ「超時空要塞マクロス」の一条輝リン・ミンメイの出逢いのような、突発的な事故によって一つの空間に閉じ込められる事態でも起こらなければそんな事ありえないのに。


認識してもらいたいという欲求と、自分の人となりが知れてしまうのが恐いという気持ちはうらはらです。
自分は本当は単に臆病なだけなのかもしれません。