亜弥さんの袋とじ写真集を買ってきました。


雑誌に書かれる色気って一般的に言うと露出度ってことになるのかなあ。
もしそうなら、この折り込みにそういった色気はないです。
よっぽど、アロハロのほうが露出あるかな。


じゃ、誇大広告じゃないのか、袋とじにしてさらに購買者の興味を煽っているんじゃないのかと言われれば、そうじゃないと思うのです。
わたしにはこの写真集がきちんと松浦亜弥の色気を写し出していると思えたから。


年頃の女性ですし、露出がなくても色気は感じられるでしょう。
それが素直に表現されていると思いました。


ただ、この写真を見て複雑な気分になりました。
もう、アイドルじゃないんですね、彼女。


人形であるなら色気があってはいけないんですよ。
ガラスケースのなかで清楚に輝いていなければならない。
人形の概念に外れる要因を見つけてしまったから戸惑いを感じてしまったのです。


この写真集に見つけたのは、自分の追ってきたものの性質が変化してしまっていることに対しての寂しさでした。
確かにアイドルだったのですよ、亜弥さんはね。


でも、それは喜びでもありました。
一般のアイドルは人形になれなくなったら消えていくしかないのです。
でも、亜弥さんは違う。
彼女はアイドルという殻を破って新たな世界に生まれようとしている雛なのです。


色気を歪曲せず表現してくれたカメラマンさんと編集者さんに感謝です。