終末論

久ぶりの”をかし”ネタなので興味のない方はスルーしちゃって
下さい。(笑)


…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・


”終末がやってくる。
 我が神を信じなければ奈落へ落ちることになる。”


新興宗教のうたい文句である。
そんなの発想の次元が違うと思う。
本当に終末が訪れたのならば一介の人間風情にどうこう出来る様な
ちっぽけな規模ではないはず。
ひとりの神にどうこう出来る代物ではないはず。
だから世界中に様々な名前で呼ばれる神が存在するのだ。


大きな勢力をもったものは必ず現れると思う。
それを率いているひとは救世主と呼ばれるだろう。
ただ、その勢力は必ず対で現れる。
それが必要だから。


全く違うふたつの勢力がぶつからなければ革新は起こりえない。
これを混沌(ハルマゲドン)というのだ。


終末が訪れた時に自分たちは何をしなければいけないか。
少なくとも自分の運命を神に委ねることじゃない。
自分の役割は自分にしかわからないと思う。
どれだけ高い地位をもったものでも他人の役割は示唆できないと思う。


生者も、死者も関係ない。
既に肉体を失ったものでさえ、その必要を感じれば戻ってくる。
自分の役割を完遂したものは消えていく。
炎の蜃気楼」の結末がそうであったように、「うしおととら」の
結末がそうであったように。


終末は終末でなく区切りに過ぎないのだと思う。
対の勢力のどちらかは衰退していくのだが、その勢力の思想は残される。
ハルマゲドンはそれぞれの勢力の余分を削ぎ落とすのが目的だからだ。


パンドラの箱から最後に出てきたのは”希望”だった。
それは新たな世界の始まりなのだから。