足りないもの。

近頃、亜弥さんに感じている心許無さについて書いてみる。
漠然とした不安が常にあるのは彼女の活動が全く見えなくなってしまったからだ。
亜弥さんはアーティストとしての第一歩を踏み出した。
それは愛でたいのだが、その所為で彼女の個性がぼやけてしまった。
彼女の培ってきた個性、それはアイドルであるために他人によって装飾されたものだったからだ。
その印象を払拭すべくネイキッドソングスが発売されたが心のままに伸びやかに歌われた楽曲たちも彼女の未来を示唆出来るものではなかった。
突飛だが、アイドルとアーティストの違いを料理店に喩えてみる。
アイドルというのはファミレスのようなものだと思っている。
店を訪れた客はメニューの中から思いついた料理を注文して食べる。
どれが選ばれたとしてもファミレスの料理はそれなりに満足出来る味付けになっている。
何を食べてもそれなりに満足出来るからそういう客が集まる、つまりはDD(誰でも大好き)だ。
アーティストというのは専門店のようなものだと思っている。
客は店を訪れる前から自分の注文する料理を決めている。
味について好みが分かれるだろうが客はその店にしかない料理を食べる目的で訪れる、それは推しと言い換えていいと思う。
今までアイドル歌手だったものがアーティストに転向するというのは、ファミレスの料理で専門店を開くようなもの、もし味付けがそのままだったなら客足は遠退いてしまう。
ファミレスで出された料理のはずなのに何処かが違う、香りがいい、美味しい、そう思って貰うためには工夫しなければならない。
現在の亜弥さんはその段階に居ると思う。
同時期にデビューしたBoAさんが亜弥さんの遥か先に居るのは彼女が自分らしさを追求出来る立場にいた所為だ。
つんく♂さんの趣向ながらジャズという一面が亜弥さんには在る。
それを新しい個性として打ち出すのは容易いが今のままでは注目されない。
今までの亜弥さんが遣らなかった何か、例えば、林檎姫が歌う時に放つような妖しさや語調、そんな独特な尖ったものを彼女の歌に加えていく必要を感じている。
そう考えれば事務所から放置されている亜弥さんの状況は願ったりかもしれない。
今まで培ってきた個性を微塵に壊してしまう事により亜弥さんの人気が低迷してしまうのも厭わない気構えで事務所がいてくれたのなら彼女は間違いなく転進出来る。
素材は抜群にいいのだから一時的な人気の低迷を恐れず彼女の来たるべき未来に賭ければいいと思う。
そんな松浦亜弥を彼女でしか味わえない極上の料理に惹かれて集まった本物のファンがドッシリ支えてくれるだろう。