愛情イッポン! - 指導 -

柔道、剣道、茶道、華道など、日本の習い事には「道」という字が付きます。


「道」を究める。


強くなりたい、上手になりたい。
そういった技巧的な部分のみならず、そうなるための心のあり方まで突き詰めていく。
「道」と呼ばれる習い事に共通される事ですね。


こういった習い事が難しいのは答えがないところです。


先生(師範)がいて基本となる考え方や技を指導してくれます。
ただ、それは必要最小限でしかありません。
本当に大切な部分、体得しなければならない事は自分の心の中にあり、教わった事を基盤にして創意工夫し自分で解っていくのです。


自分でここまでだと思ってしまえば、それでおしまいだという事です。


自分で見つけ出した真理にたくさんのひとが共感してくれた時、それは新しい流派となっていくでしょう。
だけど、流派を作るなんて事は「道」の精神からしてみればどうでもいい事なのです。


「道」を究める。
極端にいえば独り善がりなんですから。


亜弥さん扮する巴は、父親を最高だと言いました。
生き方、考え方、行動、「道」を究めるという事に限定すれば、彼は間違いなくカッコイイからです。
間違っていないと思えるからです。


「道」の意味を履き違えたものがいたとしたなら、師範として指導し道を正してやるのは当たり前の行為です。
それが理解できないものは「道」を語る資格さえありません。