推すということ。
自分にとって「推す」とはどういう事なのか考えてみる。
嫌いじゃない。→いける。→好き。→かなり好き。→応援する。→推す。
順列をつけてみるとこんな感じだろうか。
この間に自分の心境にどんな変化があったか思い起こしてみる。
当然、わたしの場合は松浦亜弥についてだ。
嫌いじゃない。→いける。
亜弥さんと初めて出逢った「トロ恋」の辺り。
彼女のPVに圧倒され俄然注目し始めた。
年甲斐も無くファンと言うのが恥ずかしかった。
いける。→好き。→かなり好き。→応援する。
「LOVE涙」〜「100KISS」の辺り。
いける。→応援する。が急激だった。
わたしは、この辺りのPVが一番好きだ。
PVというアプローチがなかったら、おそらく自分は亜弥さんにのめり
込まなかっただろう。
胸を張ってファンを自称できるようになっていた。
応援する。→推す。
「ピーチ」の辺り。
亜弥さんを猛然と摂取していた時期。
(キショイおやじと化していた。)
彼女はこの頃からCMに顔を出すようになる。
ということは、わたしの亜弥熱は世の流れ通りだったといえる。
機会があるごとに亜弥談義をしていた。
(談義された側は、かなり、ウザかっただろうと思われる)
思うに「応援する。」と「推す。」の決定的な違いは意識の変化だと思う。
わたしは「ピーチ」の頃まで彼女をアイドル(偶像)だと思っていた。
可愛いとか、綺麗とかいう表面的なものばかり追っていた。
それが「ピーチ」以降、おそらく初アルバムを聴いた影響だったろう、
彼女が何を感じ、何を考え、どう行動するのかが無性に気になり始めた。
彼女をアイドル(偶像)だと思わなくなった。
”皆さんはアイドルとわたしを呼びますが、
わたしは自分のことを歌手だと思っています。”
以前、彼女が言っていた。
確かにアイドルという肩書きは存在しない。
アイドルかどうかは他人が決めることなのだ。
わたしは、亜弥さんのトークにかなり興味がある。
司会者によって内容を使い分けられる彼女の感性に惹かれる。