フウシンコ

松浦亜弥さんの「風信子(ヒヤシンス)」って題名通りの意味じゃなくて
谷村さんの比喩だと思うのです。


だって、歌詞を追ってみてもヒヤシンスって出てきませんから。
歌詞について考察してみます。


WO(weekly oricon)の特集で彼女が、題名を”フウシンコ”と読み間違
えたというコメントが載っていましたが、亜弥さんの感性って間違ってい
ないと思いました。
(ま、確かにヒヤシンスとは読めんけど)


着目しなければならない言葉は、”風”と”色”です。
風信子(ヒヤシンス)」を「風を信じる子(フウシンコ)」と読みかえ
てみると詞に込められた想いがわかってきます。


   空を見上げる時は いつもひとりぼっち
   悲しいこともあるけど すべて意味があるんだね


この部分の”空”というのは、おそらく、空=届かない位置にあるもの。
自分のなりたいもの。
展望(夢)という比喩なのではないのでしょうか。


自分が追い求めようと頑張る気持ちは誰もわかってくれない。
つらいけれど、その努力に無駄なものは何もない。
そんな意味合いなのでしょう。


   桜の花びらを 躍らせるものは何?
   目には見えない 風がそこに吹いているから…


桜の花びらが舞う情景は情緒的です。
それを亜弥さんについての比喩だと仮定してみます。


亜弥さんがとても魅力的に輝いてみえるのは、見えないところで彼女を
支えてくれているひとがいるから。
そう解釈できます。


   いつもうつむいている そんな友達がいた
   ずっとふざけてたけれど やさしい友達もいた
   いつも65点の 私はどんな色だろう?
   ”ふつう”で生きてるけれど これが私なんだろうか?


まわりの友達についてなら、”あのコはこんな子”みたいにそれぞれの
個性について話せるけれど、じゃ、自分はどう思われているのだろう。


自分について他人に的確に表現してもらえるような個性をもってほしい。
自分らしさについて考えてほしい。
このフレーズにはそんな想いが含まれていると思われます。


   あなたがいつか言った 愛する人の為
   ささやかに生きてゆく 色のない風が好き…


自分の大好きなひとを影から支えてあげたい。
見守っていてあげたい。
それは、包容力。


人柄とか、考え方とか、個性がしっかりしてくれば心に余裕が持てるよ
うになれます。
自然と他人のことを思いやれるようになれる。


前のフレーズを継承して、自分の個性を確立していくための過程(ノウ
ハウ)を示していると思われます。


   ありがとう 私はいつか私らしい風になる
   ありがとう あなたがくれたすべてに ありがとう


締めくくりですね。
世の中に流されず、自分を意識して生きていこうと意識付けしています。
自分を育んでくれたたくさんのひとに対する感謝を忘れないようにとい
う想いが込められています。


谷村新司さんが亜弥さんに伝えたかったことは、


   ”あなたが、あなたでいられるのは、


    励ましてくれたり、
    叱ってくれたり、
    一緒に泣いてくれたり、
    助けてくれたり、


    あなたのことを大切に思ってくれたひとが
    たくさんいたからなんです。


    そして、今もそれはかわらない。


    自分を孤独だと思わないで。


    自分らしさを忘れないことで、
    世の中の速度に流されないように、
    心にゆとりがもてるように。


    そして、これからは、
    あなた自身がそれを自分の大好きなひとに
    してあげられるようになってください。”


というような事だったのではないのでしょうか。


谷村さんは、ハードスケジュールなために亜弥さんの心に余裕がなくな
っている事に気づかれたのでしょう。


いや、もしかしたら、それに気づかれたのはつんく♂さんだったのかも
しれない。
だから、谷村さんに楽曲を依頼したのではないのでしょうか。


久しぶりに大妄想できました。
有難うございました。