横浜ロンド(考察)

詞の情景が浮かばないまま書き込みを止めてしまうのはちょっと悔しい気がしたので少し考察(妄想)してみることにしました。
曲名に「ロンド」という言葉が含まれていることからこの曲はロンド形式に則って作られていることが想像できます。
ロンド形式とは、同じ旋律(主題)が異なる旋律を挟みながら何度も繰り返される楽式のことです。
具体的にあげれば下記の部分がそれに当たると思います。

雨上がりの街
傘を持て余して
歩き出す
いつもの元町


さよならの
あとの忘れ物に
少しだけ
似てるような 雨上がり

歌詞の前半は現象を伝えています。
なので例えば、
 降り続いた雨に煙る街並みに佇む女性。
 彼女は差した傘を傾けいぶかしむかのように空を見上げます。
 雨は上がったようです。
 彼女は傘を閉じて雨粒を払い落とします。
 用済みの傘は滴に濡れて仕舞うことが出来ません。
 儘ならない表情の彼女でしたが思い立ったように歩き出しました。
といった感じで容易に情景を浮かばせることができます。
歌詞の後半は心象を伝えています。
現象がもとになって彼女が心に思い描いた内容ですので歌詞そのままでは情景を浮かばせることが難しくなります。
情景を示唆できる情報が「さよならのあとの忘れ物」だけなので判断出来ないのです。
情景を示唆できる情報が何かないか歌詞をながめていたところ、歌詞の前半、後半どちらにも「雨上がり」が含まれている事に気づきました。
そこで閃いたのは、現象としての「雨上がり」は雨がやんだ後すぐの状態のことで晴天に向かう過程を指しますが心象としての「雨上がり」は何を指すのだろうという事です。
「雨上がり」を現在とした場合、雨が降っていた頃を過去、雨雲が去って陽光が輝き始める頃は未来となります。これを恋愛に置き換えてみてはどうかと考えました。
愛し合った二人がお互いを想いあっていた頃を過去、愛し合えなくなった二人に別れが訪れてそれぞれが新しい生活を送り始めた頃を未来としたなら「雨上がり」は二人にとっての転機(さよなら)ということになります。
ならば「さよならのあとの忘れ物」とは何を指すのでしょう、今度はこれを現象に置き換えてみました。
「雨上がり(現象)」=「さよなら(心象)」と考えます。
なので「さよならのあとの忘れ物」は「雨上がりのあとの忘れ物」となります。
雨が忘れていったものといえば雨滴、水溜まりでしょうか。雨滴、水溜まりは陽光によってやがて気化して消えてしまいます。
これを心象に当てはめた場合、雨滴、水溜まりに該当するのは想い出でしょうね、失恋の痛みは陽光(新しい出逢い)によって徐々にぼやけて消えていくのです。
上記の考察(妄想)によりかなり鮮明に詞の情景を浮かべることが出来るようになった気がしました。