イルカ

水槽の壁が透けていました。
こちらが手を振るとイルカの瞳はじっとそれを追ってきます。
ひらひらに応えるために、クルリと体勢を変えたり、ボールを咥えたりしてくれます。
手を振ったのはイルカに気づいて欲しかったからです。
送った信号を受け取って、その証を返して欲しかったからです。
イルカは嬉しかったのだと思います。
見つけてくれた感謝を自分の出来うる最高の表現で魅せてくれたのだと思います。
けれど、想いの伝達手段を持たない一人と一頭はそれ以上の関係にはなれません。
イルカには手のひらひらの意味は伝わらないし、自分も漆黒の瞳に隠された意志を汲み取ることが出来ないからです。
そんな事を考えているうちに、亜弥さんと自分にはこれと同じだけの距離があるような気がしてきました。
自分の事をもっと知って貰いたくてその想いだけで行動出来るひとが沢山いるんですね。
自分が嫌いです、嫌いな部分を見られてしまいそうでイルカに手を振ることしか出来ない自分がいます。
遠くから見ていられればそれでいい、それは偽りの心です。
手を振らなければイルカに気づいて貰えない。
けれど、手を振るだけではイルカとの距離は縮まらないのです。
触れるから感じられる何かがあるのかもしれない。
自分を見つめる漆黒の瞳には不思議な魅力がありました。
亜弥さんが時折魅せる真っ直ぐな視線のような切なさを含んでいました。