絆創膏


テレビの向こう側で微笑んでいるアイドルに親近感はわかない。
自分に与えられた責任をまっとうしている、彼女はやり手だと思える。
そりゃあ、表情が可愛いとか、映えて見えるとか、そういう印象はあるが、そこに人間としての生々しさは感られない。
映像を介する時のあちらとこちらの距離感とはそういうものだと思う。


ただ、何かを切欠にその距離感が一気に縮まる事がある。
彼女は身近な存在なのだといきなり実感させられるのだ。


… … … … …


亜弥さんの「A」を観ました。
黒のドレスを着こなした彼女は今回も綺麗でした。


「人間は寝ろといわれてすぐ眠れるのか」という実験を司会者の面々で行っていた時、偶然亜弥さんの腕が映されました。
何気なしに持ち上げられた彼女の二の腕に貼られた絆創膏、それがあまりにも平凡で華やかさとの落差を感じてしまいました。


ああ、亜弥さんも普通の女の子だったのだなあ…。
そう実感させられました。


そういえば、今まで絆創膏を貼ったままカメラの前に立ったアイドルはいなかった気がします。
ケガの所為じゃない、ごく普通に貼られた絆創膏です。


人形の代名詞になった女の子は、実は最も人形らしくない女の子でした。
平凡を追求するが故にどんどん非凡になっていった過去の人形たちとは違います。
主張していいし、くじけていいし、恋だってしていい。
思い返してみれば、彼女はニュータイプ(新しいアイドルの先駆け)だったのでしょう。


亜弥さんは、ゆっくりとしたペースで人形の定義を書き換えてきたのだと思います。
そして、それは現在進行形です。