阿修羅城の瞳


映画を観て来ちゃいました。


”恋をすると鬼になる”


愛しく思う心も、
憎く思う心も、
羨望する心も、
屈服させたいと思う心も、
魅了される心も、
恨めしいと思う心も、
相手に焦がれるという観点からすれば全て恋です。


道徳、倫理、秩序そういった縛りを「人間」と例えるのなら、
欲望、衝動、愛、理屈では表現できない心の葛藤は「鬼」と言い換える事ができます。


吾郎さんは、恋をそのままの意味にしか捉えていない。
鬼をそのままの意味にしか捉えていない。
だから、理解出来ないのです。


本編についてですが、面白いと思いました。
映画のなかで舞台を演出しようとしている、舞台でやりたくても出来なかったから、それが悔しいから映画にしましたって意図が伝わって来ます。
それぞれのシーンで俳優さんにスポットライトが当っているような(比喩です、本当に当てていたわけじゃない)撮り方が意識されていました。
台詞が芝居がかっている気がしましたし、それがまた痛快で。
ああ、これって歌舞伎なんだなあって思いました。


私はこういった趣向が大好きです。
でも、映画であって舞台でもあるという中途半端さは万人向けじゃないのかなあ。
暇で、映画でも観に行くかなあって思い立って、どの映画にしようか決め兼ねた時は入ってみてください。(彼女と一緒ならオススメかも)
絶対楽しめると思いますから。