言葉


なっちさん、会見ご苦労さま。
よく頑張ったね。


以前も言ったけど、詩を書くのをやめちゃいけないよ。
もしやめてしまったなら、あなたの謹慎は意味のないものになってしまうから。


謹慎は過ちに対しての罰じゃない。
自分を見つめ直して、どこが間違っていたかを再認識して、軌道を修正するための方策を考えるのに与えられる時間です。


なっちさんは、自分の心の琴線に触れた言葉をノートにまた綴ればいい。
それで失敗したからもうしないは間違いです。
いい言葉を忘れないように残しておいたからこそ、あなたはひとにやさしくなれたんだと思う。


例えば、何か食べた時に美味しいって感じたとする、それは味覚があるからです。
じゃあ、それをさらに美味しいって感じるためにはどうしたらいいと思いますか?
答えはよく噛む事、そうすればさらに沢山の旨みが口の中に溢れ出す。
そして、その旨みは全部栄養になるんです。


いい言葉が心の食べ物だとして、そのまま飲み込んで美味しいものだったなら、よく噛めばもっと旨みを感じられるハズでしょ。
(あ、この場合のよく噛むっていうのは、言葉の意味や、作者が感じて欲しかった心情をわかってあげるって意味です。)


写経ってありますよね。
お経を無心になって書き写すんですが、書き写すためには原本を読み取らないと出来ないです。
つまり、無意識に頭の中でお経を唱えていることになります。
いい言葉をノートに綴るというのも同じです。
書くという行為によって言葉を自分の中で反芻しているのですから、よく噛んであげればそれは全部あなたの栄養になるのです。


これから、なっちさんが詩を書きたいって思った時、いい言葉がよく噛めていたならノートを開く事はなくなっていくと思います。
だって、いい言葉は全部なっちさんの栄養になってしまっていますから。
発想はノートを開かなくてもどんどん浮かんで来ます、なっちさんの言葉に生まれ変わってね。