推しの理由

松浦亜弥
ソニン
安倍麻美


自分が推したいと思う女の子をひとりに絞れないことに罪悪感を感じていた時期があった。
自分は「推す」ということに恋愛と同等の重みを感じてしまう。


主従関係みたいな感覚といいかえてもいい。
自分が守るべき主はただひとりであるべきなのだ。


ばかばかしい。
されど、どうしようもない。


ある日、自分の行動について面白い事に気づいた。


音楽を聴く、毎日。
その日の気分によって聴きたい楽曲は変化する。
それは当たり前の事だ。


自分の場合、精神的に疲れているような時、必ず亜弥さんの楽曲をチョイスする。
気持ちが安らぐからだ。
心が和み、そして癒される。


肉体的に疲れている時、もっぱら、ソニンさんの楽曲をチョイスする。
彼女の楽曲を聴いていると元気が出てくる。
歌声は自分を勇気づけてくれる。


そして自分が何か行動しなければならないような時、例えば客先で折衝を行わなければならないような場合、あさみんの曲を聴いている。


自分が、亜弥さんや、ソニンさんや、麻美さんを追い始めた動機はそれぞれだ。
自分が彼女たちについてしてあげたいと思っている気持ちもそれぞれ。
でも、それは、自分が彼女たちの輝きや楽曲に受けている恩恵の投影なのではないのか。


自分にとって魅力的に感じるから惹かれるのだ。
魅力的に感じるという事は、自分に足りないと思っているということ。
ひとりのひとがその全てを保持していることなどありえない。
だから、それが複数になってしまっても不思議はない。


人間とは都合のよい理由をこじつけるものだ。
我ながらそう思う。


自分が誰を一推ししているのか。
それは一番安らぎを感じさせられるのは誰かで理由づけられると思った。