思想

可愛いとか、歌がうまいとか、演技が上手だとか、アイドルとして売れるために必要な素養というものはあると思います。
でも、表面的なものだけでは流行りもので終わってしまう気がします。
本当に大切なのは目に見えないところにあるのではないのでしょうか。


わたしが亜弥さんに初めて出逢ったのは、トロ恋のPVでした。
”何だか分からないけれど、この娘ってスゴイ!”
それが彼女についての第一印象です。


アイドルにとって最も重要なのは、初めて出逢った相手を「何だか分からないけれど…」という感覚にさせられるかどうかなのだと思います。


デビューしたての初々しさや、不器用さや、危うさや、そんな頼りない微笑みに漠然と感動し、自分の感動した理由が知りたくて、そのアイドルに興味を持ち始める。
軽い気持ちで追ってみるのですが、相手の底が知れないとのめり込んでしまう。
この状態をヲタというのだと思います。


これほどハロプロを成長させたつんく♂プロデュースですが、彼が長けていたのは逸材を発掘する手腕などではなかったと思っています。
彼の生み出す歌が特別素晴らしかったわけでもない。


つんく♂さんはどんな女の子でも持っている、”こいつ可愛ええなぁ…。”と思わせる部分を見つけるのが得意だっただけなのではないのでしょうか。


輝きは創り出すものではなくて内面から湧き出るもの。
彼は自分がいいと思った輝きを、歌として、映像として表現する能力に長けていたのでしょう。


過去のアイドルは組織によって創り出されたものであったがために人形でした。
人形だったからこそ汚れてはいけなかったし、綺麗であり続けなければならなかった。


つんく♂プロデュースはアイドルを人間として表現しています。
アイドルたちの喜怒哀楽、つまり個性を売っているのです。
それについて、彼の思想は全く間違っていないと思えるし、ハロプロの成功がそれを物語っています。


今日、これを書こうと思った発端は、美勇伝でした。


つんく♂さんは、3人のオトナの女性を表現するために、自分で歌を提供することを見送りました。
されど、映像には彼の思想がたっぷり詰め込まれていました。


画面いっぱいにアイドルの顔を映す手法や、目を逸らした状態からカメラ目線となる手法などの、モーニング娘。を成功に導いたノウハウです。


同性(女性)の視点で生み出された楽曲と、異性(男性)の視点で作られた映像のカップリングは、もしかしたら最強なのかもしれない。
美勇伝に対するつんく♂さんの期待が「恋のヌケガラ」からかなり感じられました。