愛情イッポン! - 受身 -

最終回は、大会が間近に迫っているにも関わらず、夏八木道場が連盟から除名されるという最悪の状態から始まりました。
知らせを聞いて呆然とする正平先生の表情がとても痛かったです。


でも本当に戸惑ったのは子供たちだったのでしょう。
今迄一心に目指してきた目標を見失ってしまったのですから。


他の道場に振り分けられて、そこの道場で練習をさせてもらえない子供たち。
可哀想でした。


でもね、一見酷い扱いのように見えるのですが、決してそうではないと思うのですよ。
彼らが振り分けられた道場でも、大会を目指して稽古に励んでいたと思われますから、
当然、選手は既に選抜されていたでしょう。


着目すべきは、ミキコちゃんと、クニオくんです。
彼らは振り分けられた先の道場でも選手として練習に参加していました。
多分、入門の時点に実力を試されたのでしょう。
彼女たちは実力を認められて選手となったと推測されます。


大会が間近に迫っていれば練習も自然とそのためのものになります。
実力のないものは当然稽古の邪魔となるでしょう。


見学は決して差別ではありません。
実力のあるものの動きや技を目の当たりにして自分の糧にする立派な稽古だと思うのですが…。


子供たちは自分たちの意思で夏八木道場に戻ってきてしまいます。
夏八木道場でなければ教えてもらえない大切なものに気づいたからです。


”自分たちのやれることをやろう。”
オトナというものは情けないものですね。
そんな単純なことを子供たちに教えられるまで気づかないのですから。


巴たんが、もっちゃんが、トドくんが、町内のひと達が、夏八木道場の除名撤回に向けて動き出しました。


”自分の事より、ひとのために生きる。”
”それがどんなに素敵な事か。”


”ひとを投げたり、押さえ込んだりする技を身につけたひとが
 困っているひとを助けることはいけない事なのでしょうか。”
”ボクはいけない事とは思えません。”


”柔道の基本は受身である。”
”負けることから始まるスポーツの意味、そこから人生を教わりました。”
”正平先生が教えてくれたんです。”


みんなが夏八木道場の除名撤回のために語った言葉はどれも考えさせられるものばかりでしたね。


”夏八木正平は、誰よりも柔道を愛しています。”
”あいつから柔道をとったら…あいつは死ぬ!”


ライバルである横山先生の叫びに、わたしはつい泣いてしまいました。
スクール・ウォーズをちょっぴり思い出しました。)


おっちゃんが夏八木道場のために何が出来るか考え出した結論は、自分が夏八木道場の関係者でなくなる事でした。
奥さんと離婚してみんなの前から姿を消す事でした。
辛い決断だったと思います。


そして、みんなの願いが叶って夏八木道場は試合に出られる事になったのです。
試合以後、道場の看板を下ろすという条件付きで。


”看板を下ろしてしまえばもう柔道を教えることは出来ません。”
”今回の試合にその価値があるのですか?”


正平先生に出された問いは、彼がみんなの言うような器を備えた人物であるのかを確かめるためのものだったと思っています。


”あります、大いにあります。”
”わたしは未来ではなく、今を生きているのですから。”


そう答える正平先生の微笑みがすごく優しかったですね。
心を決めたものの潔さが見えました。


そして、試合が始まりました。
わたしは、勝敗が2対2になった時、これは勝てるなって思っていました。
(それが、ドラマってもんでしょ。)


されど、期待は覆されました。
負けるはずのないクニオくんが負けたのです。


何で気持ちよく終われへんのぉ…。と、不満だったのですが、
ふと、思いついた事がありました。
彼はこの物語に登場してから今迄負けた事がないのです。
ははあ…と。


”楽しいんだよ、お前らとやっている時の方が。”
選手を棒に振って夏八木道場に帰ってくる時の彼のセリフといい、この負けっぷりといい、
最終回の主役は彼なのだなあと気づきました。
彼を負けさせなければ、彼のこれからが始まらないのです。


この物語のテーマは第一回目の放送から何度となく出ていたのですよ。
受身、そして「まだ、まだ。」です。


大団円でした。
子供たちによって始まった物語は、子供たちによって幕が引かれました。


勝つことを追求するスポ根ものはたくさんあったでしょうが、
負けることの素晴らしさを説いたのはおそらくこのドラマが初めてだったのではないのでしょうか。


彼らと共に、わたしも言わせて頂いて締めようと思います。

”夏八木道場は、最高ーっ!”