愛情イッポン! - うそ(the other) -

今回の「愛情イッポン!」について、
役を演ずるという事を視点に書いてみたいと思う。


映画の場合、監督は自分が思い描く映像が撮れるまで撮影を繰り返す。
役者は腕の見せ所である。
じっくり役作りをし自分の演技を最高のものにすべく努力をする。


テレビドラマの場合、じっくりという訳にはいかない。
撮影時間が限られているせいで役作りに時間を十分にかけられないのだ。
また、映像自体にも映画ほどお金がかけられない。
そこに、おのずとギャップが生じてくる。


その辺りを装飾するのが裏方の仕事だといえる。
役者の演技を引き立てるための方法はいろいろある。


舞台に工夫を凝らす。
効果的な音響を使う。
カメラ割りを考える。


今回の放送の出来栄えは裏方の功労のおかげではなかったか、
その辺りを視点に思い返してみるのだが、不思議にそんな気がしない。
つまり、役者の演技が本当に素晴らしかったのだ。
装飾の必要を感じさせないくらいの出来栄えだったのであろう。


トドくんと、もっちゃんの絡み。
トドくんが師を前にして懺悔する辺りから彼らの演技が様相を変える。
いつものお気楽な雰囲気からは想像できない迫力が伝わってくる。


そして、亜弥さんが魅せた泣き顔がずっと頭から離れない。
”このひとはこういう表情で泣くんだ…。”
自分にとってそれが衝撃的だった。


はたして、あのシーンは別撮りだったのだろうか。
道場の中と外、ふたつの芝居が同時に撮影されていて、
男たちの迫真の演技に彼女は本当に感極まってしまったのではないのだろうか。


以前、「THE・STAR」という劇画があった。


主人公である長瀬優也は役者としての天性の才能をもっている。
彼は与えられた状況に染まり、その役柄を完璧に演じきる事が出来る。
そして、彼の演技は共演者にも伝染していく。
長瀬が演技する時、彼の頭の中のイメージは周囲の風景に投影される。
何もない部屋の中での演技であっても、
観るものには実際に風景があるかのように感じられる。


とまあ、ここまで荒唐無稽ではないにしろ、
この撮影はそれと同じような事が起こっていたのではないのだろうかと思う。
それでなければ、亜弥さんがあんな泣き顔をするわけがないと思えるのだ。


亜弥さんについて、大切なものを見つける事ができた気がする。
心に浮かんだものをそのまま表現してみればそうなる。


あの瞬間、彼女は松浦亜弥ではなかった。
あそこにいたのは、夏八木巴だった。


やはり、亜弥さんは憧憬なのだ。
自分が追い求める存在なのだという事をあらためて気づかされた。