優駿

ハロプロの面々のフットサルが特集されたものが本屋にあって開けてみた。
自分が彼女たちの誰かを推していたら即買いだっただろう。
それぐらい彼女たちの素の表情が満載されていた。


されど、亜弥さんについてはあまり触れられていなかったため購入に二の足を踏んだ。
すべては亜弥さんが多忙なために練習にあまり参加出来ていないのが理由である。


それはそうと、
記事を読んでみるに、亜弥さんについてお馴染みになった一文がやっぱり存在する。


一を教えれば十を理解する。
音楽であれ、スポーツであれ、これがお約束のように書かれている。


心と身体の両面、どちらでも同じ賛辞が受けられる能力って一体何なのだろうと思う。
誰でも得手不得手があって、頭脳が優秀な場合は運動はからきしというのが定説なのだが、彼女には当てはまらないらしい。


はっきり言ってうらやましく思う。
自分は言われた事など一度もないからだ。


天は二物を与える。
多分、それは容量の広さを表す言葉なのだ。
教えられた内容を理解しさらに応用(使い道を想定)できる広さと、想定された理論を空論にさせない機動性。


サイボーグってか。


自分は彼女に対してこのたとえをするのを嫌う。
彼女は絶対人間であってほしいという気持ちが根本にあるからだと思う。


嫉妬と羨望と憧憬、優駿とはそういった存在に対して使われる言葉なのだ。