おいら
何故、今更この話題かと申しますと、わたしは「おいら」の買い遅れ組なのです。
近所の書店を何軒かはしごしたものの見つからず、少し遠出してみてもやはり見つからず。
発売当時に買えばよかったのです。
わたしは、アイドルの書いたエッセイを今まで一度も買ったことがないので、今回も買わない
つもりでした。
その気持ちを変えさせたのは、いつぞやの爆音娘。でした。
モーニング娘。にとって、長いようで短かった6年間。
モーニング娘。は、卒業、引退、新規メンバー参入、改編等の様々な出来事に直面しました。
彼女たちが、何を思い、どう感じ、何を容認し、何を捨ててきたか。
本当の事を語れるのはメンバーだけです。
矢口真里が書いたエッセイならば、事実を誇張なく淡々と書いてくれているような気がしました。
それ故、購入する決心をしたのですが…。
今日、たまたま新しい古本屋を見つけました。
わたしは、新しい古本屋を見つけると昔のCDを漁りに行くんです。
首尾よく「太陽とシスコムーン1」を見つけました。
彼女たちのオーディションはTVで観ていましたが、あの当時は傍観者でしたから。
さっそく、レジに会計に出かけます。
(このアルバム驚きの100円でした。)
レジの近くが芸能関係の書籍棚だったんです。
何気なしにながめていました。
…
あ、あった!
セピア色の背景で、まりっぺが頬を膨らまして、唇を尖らせて、赤のバイザーをかぶって
何処かを眺めている。
まぎれもなく、それは「おいら」でした。
最初に感じたのは、本が見つかった事による驚きでした。(当然ですね)
次に沸き起こってきたのが、実は憤りだったのです。
”この時期に「おいら」が古本屋に置いてあるってどういう事だ?”
”当然、売りに来たやつがいるってことだよな。”
”そいつは、何のために「おいら」を買ったんだ?”
”真里ヲタだから買ったんじゃないのか?”
”内容がつまらなかったのか?”
”まりっぺに限ってそんな事はないはず…”
”それに、まりっぺのエッセイだぜ。”
”普通、売るか?”
”あぁ…そうか、ファンじゃなかったんだな。”
”けれど、ファンじゃないのに買うか?”
堂々巡り。
答えの出ない問いに煩悶しながら「おいら」を持ってレジに。
次に浮かんできた感情は、恥ずかしさと後ろめたさでした。
”まりっぺのエッセイだぞ。”
”ちゃんとした書店で買わないのか。”
”いくら書店で見つからなかったといってもだぞ。”
”誰かのお古だそ。”
”まりっぺに対して失礼じゃないのか。”
また煩悶が始まりました。
でも、理性がこの不思議な感情を押さえつけてくれました。
ばかばかしい。
そう自分に言い聞かせました。
でも…
彼女についてそう感じてあげる。
それは、とても大事なことのような気がしたのです。