享受と進化


モーニング娘。分裂についての今の気持ちを書きたいと思う。


モーニング娘。分裂の発表があった時、何故という疑問や憤りや遣る瀬無さのようなもので
いっぱいになった。
しかし、実際、CD発売にしても、雑誌にしても(雑誌は組ごとに別出版社で売り出されたりして)
セット品みたいにして売られているため実感が湧かなかったのが本当のところだった。
(うちは田舎なんで彼女たちのコンサートに時々しか参戦出来ないし、その辺りの情報は
TV、ネット等のメディアに頼りっきりという事を踏まえて読んで頂きたい。)

それが近頃、新聞のチラシにさくら、おとめのコンサートの情報が載るようになってきた。
当然、今回はさくら、おとめセット売りではない。
広告の見出しはモーニング娘。ではなく、さくら、おとめとなっている。


寂寥。


自分はミキティもなっちもみんなの顔が観たいのに半分しか見られないのである。
やっと現実味を帯びてきた。
さくらとおとめ両方のコンサートに参戦すればいいとかそういう事ではないのだ。
15人全員が揃わなくてどうする。
モーニング娘。を観たいと思ったらハロプロ全体のコンサートに参戦するしかないのだ。


主観だけれど、近頃、モーニング娘。のメンバーの雰囲気が一変しているような
気がしている。
外見も内面もどこか洗練されてきたように見える。
まだ初々しいはずの新メンでさえそう感じる。


もしかしたら、モーニング娘。分裂の重大さを一番感じているのはメンバーたちなのかもしれない。
ヲタのように文句タラタラでは済まないのだから当然だ。
気持ちを引き締めてかからねばならず、今まで15人でやってきたことを半分の面子で
こなして行かなければならない重圧が彼女たちを変貌させつつあるのかもしれないと
思った。


一体、どんなコンサートになるのだろう。
さくら、おとめ各々がリリースした曲は当然歌われるだろうが、残りの選曲はどうする。
普通に考えれば、さくら、おとめという新人ユニットがデビューし、デビュー曲しかない状態で
いきなりコンサートをひらくという構図になるわけだから楽曲が足りない。
少しの間、それぞれのユニットのファーストアルバムがリリースされる頃までは
往年のモーニング娘。の曲をそれぞれのメンバーで歌う事になるのだろう。


しかし、悪いことばかりではない。
モーニング娘。初期メンの頃と今回を比較して圧倒的に有利と思われるのは
キッズの存在だと思う。
このガキんちょたちは絶対馬鹿にできない。
半分になったメンバーを幼いがはちきれんばかりのパワーで後押ししてくれるはずである。
おそらく分裂に踏み切った目算のひとつにキッズの完成度の高さがあったのではないか。


モーニング娘。は次の段階に進化しようとしている。
辛いかもしれないが現実を享受し、わたしたちヲタも変わっていかなければならないと思った。