奇跡について考える

大災害、大事故の中から奇跡の生還をしたひとがいる。
たまたま助かったというラッキーなひとから、知らないひとが導いてくれた
という不思議な話までいろいろあるのだが。


奇跡はどういう状態で起こるのか考察してみたい。


我が家は田舎なので、家の中によく虫が入り込む。
殺生は嫌いなのでなるべく外に出してあげるのだが、その時、今回のネタを
思いついた。


この虫を助けずに放置しておいたら外に出ることも出来ずに死ぬのだろう。
この虫は自分が助けた事によってつかの間かもしれないけれど長生きできる。


自分は紛れ込んだ虫の中で今助けようとしている虫を選出した訳ではない。
たまたま気づいたから、鬱陶しかったから、要するに目立ったから助けよう
としているのだ。
助けるは語弊があるな。排除しようとしているのだから。
でも、虫からしてみれば人間の思惑など関係ない。生き延びられるのだ。
ラッキー以外のなにものでもない。
逆に目立ったから捻り潰される場合もあるのだ。アンラッキーである。
たまたま紛れ込んだ虫の数が一匹だから外に出そうとしているだけで、
うじゃうじゃいたら殺虫剤をぶっかけて殺してしまうだろう。


そこで、虫を人間、家の中に入り込んでしまった状態を災害、事故に巻き込
まれたとし、人間を神だと仮定する。


たまたまその時の気分で「しゃーないなぁ」と思ったから助けるのである。


神の気まぐれ = 奇跡


そう解釈できないだろうか。
絶望的な状況でもがいている人間のなかで生還できるひとは神が助けてやろ
うと思うくらいには印象的に見えたのだ。
だから助けて(導いて)もらえたのだ。


そう考えると神という存在はすっげー人間臭いという事になる。
まぁ、神罰、たたりという観念自体が人間臭いものなのだが。