スターはこうして生まれる

田中義剛さんのブログより
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●スターはこうして生まれる

06/06/05

我が事務所アップフロントエージェンシーが今年創立20周年を迎えた。オレが事務所に入ったのが19年前。その頃は小さな事務所で所属タレントで有名なのは、堀内孝雄さんぐらいしかいなかった。代表は山崎直樹、現在、会長として芸能会に君臨している。この会長のポリシーは「いい加減」。でもこのいい加減さが当たってきたから恐ろしい。事務所を始めて3年目に森高千里が入ってきた。当時、彼女はキャンペンガールの域を出ず、低迷していた時期だ。
その、千里が新規一転、歌で勝負する。曲は南沙織の名曲「17歳」。レコーディングが終わり、後は衣装を決めるだけ。その時会長は悩んでいた。「後は衣装だけだ、それさえ決まれば絶対にいける」。そう思っているとき、たまたまオレの仕事で会長が札幌にきた。夜、ススキノに繰り出した時、「なあ、どっか面白いとこないか」と言われた。「ああ、それなら、バレリーナパブにいきましょう」。オレは当時、マニアの間で話題のバレリーナパブに会長を連れて行った。
システムは10分千円、指名料は100円ポッキリという超格安。しばらくして、「こんにちは〜」と現れた女の子は見事なバレリーナの衣装を着て、白鳥の湖のように踊りながら現れた。会長はひどくバレリーナパブが気に入って酒も飲めないのに延長を重ねた。その後、森高千里のレコードジャケットが仕上がった。オレは、森高の衣装を見て驚いた。そこにはなんと、バレリーナパブの衣装をきた森高がいたのだ。会長はオレが連れて行ったバレリーナパブで森高の衣装を決めたと言う。この真実は森高本人には言ってない。まさか本人にススキノのバレリーナパブで決めたとは言えないだろう。その後、この衣装がオタクファンに大人気となった。どこに行っても森高はファンに追いかけられ大変な状態だ。そんな時会長に呼ばれた。「森高が大変なんだ、お前のマネージャーを明日から森高に付けるからなよろしく」オレは当時、テレビのレギュラーを10本以上やっていた。マネージャーがいなくてはとてもやれない。「無理です」と言うと会長はポケットから5万円出してオレに手渡し、静かに言った。「これで我慢しろ」。その時、本当に金が無く素直に受け取ったオレが悲しい。それから1年間、オレはマネージャーなしで頑張った。
その後、歌手のKAN(カン)を売り出すことになった。シングルの曲は決まっていた。だが突然会長からストップがかかる。「アルバムにもっといい曲があるだろう、それでいく」その曲とは「愛は勝つ」だった。この曲は余りにテーマが大きいためカン本人がシングルにするのはイヤだった。それが強引にシングルで行くことになったのだ。
だが結果それがカンの運命を変える大ヒットとなった。
ある日、「これから女性アイドルをやるぞ」と会長が宣言した。うちの事務所はアイドルなんてやったことが無い。みんな反対した。そしたら「本当のアイドルじゃない。アイドルもどきをやる」と訳のわからないことを言ってオーディションに落ちた女の子を集めてグループを作った。それが「モーニング娘」だ。このグループの原型はプエルトリコにある。プエルトリコにアイドルグループがあって、21歳を超えたら卒業させてまた新しい娘を入れるシステムで成功していた。今までの日本では、アイドルグループは一人抜けたら解散だった。会長はそんなリスクの高いことはやらない。どんどん卒業させて新しい娘を入れるプエルトリコスタイルのやり方は日本でも大成功した。つんくをアイドルプロデューサーにしたのも会長の戦略だ。
その後、松浦あやがデビューする。彼女は一応オーディションで選ばれたことになっているが、実は松浦は書類審査の段階で合格していた。
理由は松浦の誕生日が会長と同じだから。しかも血液型も同じB型。松浦あやのプロフィールだけ見て、「これは、奇跡だ、この娘で行こう」会長はそういって松浦をデビューさせた。
偶然と運命が重なり合ってスターは生まれる。芸能界とはそんなところだ。努力だけでは報われない。
会長は言う。「人生はアメーバーだ」。だが、その意味を理解している社員は一人もいない。
オレは27歳の時に東京にいった。誰も相手にしてくれない時、会長とあった。
あった時に「お前の目はギラギラしてるな。よし、一緒にやろう」この一言で採用された。
契約書なんてない。今もない。信用関係だけだ。
35歳の時、北海道で牧場をやりたいと相談した。その時にこう言われた。「歌手は著作権があるが、タレントは何も無い。日雇いだ。お前は、牧場で著作権を作れ。牧場の名前はニュージーランドガーデニングをイメージして花畑牧場にしろ。日本一の牧場にしろ」
何億とかかる初期投資も会長が決めてくれた。
もし、あの日会長と会ってなかったら、今の自分はいなかっただろう。