大所帯の苦悩。
アイドルになりたい女の子はたくさんいる。
かつて、彼女たちが目指したアイドルはモーニング娘。だった。
今、彼女たちの目指すアイドルは AKB48 に遷り変っている。
時は移ろいだとしても、彼女たちのアイドルになりたいという想いは変わらない。
でも、たとえ夢が叶ったとしても、この二つのグループは性質が全く違っている。
モーニング娘。の場合、合格=アイドルになれた事を意味する。
新人として注目され、みんなにアイドルとして認識され、自分のことを後押ししてくれるファンもじきに出来るだろう。
でも、AKB48 にとって合格はアイドルになれた事を意味しない。
オーディションに合格できたとしても知名度の少ないその他大勢に加わったことにしかならない。
AKB48 のグループとしての知名度は高いがメンバーそれぞれの知名度はさほど高くないと思える。
神と呼ばれる幾人かのメンバーの人気はファンでない一般の大衆にも浸透しているがその他のメンバーについてはそうでもないと思えるのだ。
ジャンケン大会や、携帯電話に配信されているゲームはそういった状態を緩和するための手段なのだと思っている。
ジャンケンに勝ち抜いて上位に食い込めば自然と周囲から注目される。
もしかしたら、これをきっかけに今まで目立てなかった女の子がアイドルになれるかもしれない。
ミッションをクリアする毎にメンバーの写真を獲得していくゲームはメンバーの表情をプレイヤーに印象づけるのに貢献している。
獲得した写真の表情が良ければプレイヤーは今まで意識していなかった女の子を意識するようになるかもしれない。
ゲームをきっかけにファンが増えることで総選挙で票が集まりその女の子の知名度が高まるかもしれないのだ。
AKB48 にとってオーディション合格は通過点でしかない。
アイドルになりたい女の子はたくさんいるが、彼女たちにはそれを念頭にアイドルを目指して欲しいと思っている。
君は自転車 私は電車で帰宅。(映像について)
愛理ちゃんは表情が良いと思う。
オーラが必要以上に主張しないところが良い。
そのため、映像では後ろ姿しか見せていない彼の存在がしっかり感じられる。
彼女を思い遣る優しい姿が見えてくるのだ。
亜弥さんの場合そうはならない。
どんなに素晴らしい演技をしていても彼女のオーラが「松浦亜弥」を感じさせてしまう。
そういった存在感はアーティストとしては必要だろう。
けれど、エンターテーメントとしては妨げになるのかもしれない。
愛理ちゃんの演技は良い。
恋にゆれる少女が魅せる微笑みは心地いいと思える。
音楽がもたらす奇跡。
昨年のあの日、自分は自宅でテレビを観ていました。
部屋が揺れ始め、いつもよりも長いな、もしかしたら危ないかな、と内心、心細くなりながら揺れが鎮まるのを待っていました。
その少し後、津波の映像が流れ始めました。
哀しい出来事が起こった時、自分は何も言えません。
つらいし、切ないし、胸が締め付けられるような気持ちはすごくあるのに、お悔やみとか、励ましとか、そんな事したって何も変わらないって思ってしまうから。
そんな自分でも、音楽の素晴らしさはわかります。
どんなに遠く離れた場所からでも、初めて耳にする音色だったとしても、音楽であれば、打ちひしがれた心を温めてあげることができるのです。
生きてさえいれば 何かが生まれる
生きてさえいれば 報われる
だから負けないで
ひとりじゃないから
松浦亜弥「笑顔」より(http://www.youtube.com/watch?v=uv6EvtlNoLY)
どんな辛い時代も
飢えて寒い夜も
暖めてくれた 誰かが いたから 今日がある
THANKS TO YOUR LOVE
ありがとう
松浦亜弥「きずな」より(http://www.youtube.com/watch?v=q3f52wt_1I0)
まるで、今回の震災を予見していたかのように発売された二つの楽曲。
歌を紹介することぐらいしか出来ない自分ですが、被災地で頑張っているみなさん負けないでください。
ももクロ。(個性)
アイドルグループには、大抵、言動の痛い女の子が何人か含まれている。
自分の存在をアピールする行為は大切なのだが他のメンバーが大人しいため目立ちたがりの個人プレーと映ってしまう。
メンバー間のテンションの差、それが観るものには痛みとして伝わるのだろう。
そういったテンションの差がももクロのメンバーにはない。
メンバーの誰かがイジられる場面であればその他のメンバーはすかさず便乗してくる。
まるで芸人のようなアイドルなのだ。
だから痛くない、痛くてもそう感じさせない、それが好感となって伝播していく。
ももクロがアイドルとして急成長を遂げた理由の一つはこの個性にあると思っている。
ももクロ界隈ではファンのことをモノノフと呼ぶそうだ。
これもまた、ももクロ特有の文化といえよう。
拙者はモノノフではござらぬが。w
こういった考察をしている事自体ももクロに感化され始めている証なのかもしれない。