君は自転車 私は電車で帰宅。(映像について)
愛理ちゃんは表情が良いと思う。
オーラが必要以上に主張しないところが良い。
そのため、映像では後ろ姿しか見せていない彼の存在がしっかり感じられる。
彼女を思い遣る優しい姿が見えてくるのだ。
亜弥さんの場合そうはならない。
どんなに素晴らしい演技をしていても彼女のオーラが「松浦亜弥」を感じさせてしまう。
そういった存在感はアーティストとしては必要だろう。
けれど、エンターテーメントとしては妨げになるのかもしれない。
愛理ちゃんの演技は良い。
恋にゆれる少女が魅せる微笑みは心地いいと思える。
音楽がもたらす奇跡。
昨年のあの日、自分は自宅でテレビを観ていました。
部屋が揺れ始め、いつもよりも長いな、もしかしたら危ないかな、と内心、心細くなりながら揺れが鎮まるのを待っていました。
その少し後、津波の映像が流れ始めました。
哀しい出来事が起こった時、自分は何も言えません。
つらいし、切ないし、胸が締め付けられるような気持ちはすごくあるのに、お悔やみとか、励ましとか、そんな事したって何も変わらないって思ってしまうから。
そんな自分でも、音楽の素晴らしさはわかります。
どんなに遠く離れた場所からでも、初めて耳にする音色だったとしても、音楽であれば、打ちひしがれた心を温めてあげることができるのです。
生きてさえいれば 何かが生まれる
生きてさえいれば 報われる
だから負けないで
ひとりじゃないから
松浦亜弥「笑顔」より(http://www.youtube.com/watch?v=uv6EvtlNoLY)
どんな辛い時代も
飢えて寒い夜も
暖めてくれた 誰かが いたから 今日がある
THANKS TO YOUR LOVE
ありがとう
松浦亜弥「きずな」より(http://www.youtube.com/watch?v=q3f52wt_1I0)
まるで、今回の震災を予見していたかのように発売された二つの楽曲。
歌を紹介することぐらいしか出来ない自分ですが、被災地で頑張っているみなさん負けないでください。
ももクロ。(個性)
アイドルグループには、大抵、言動の痛い女の子が何人か含まれている。
自分の存在をアピールする行為は大切なのだが他のメンバーが大人しいため目立ちたがりの個人プレーと映ってしまう。
メンバー間のテンションの差、それが観るものには痛みとして伝わるのだろう。
そういったテンションの差がももクロのメンバーにはない。
メンバーの誰かがイジられる場面であればその他のメンバーはすかさず便乗してくる。
まるで芸人のようなアイドルなのだ。
だから痛くない、痛くてもそう感じさせない、それが好感となって伝播していく。
ももクロがアイドルとして急成長を遂げた理由の一つはこの個性にあると思っている。
ももクロ界隈ではファンのことをモノノフと呼ぶそうだ。
これもまた、ももクロ特有の文化といえよう。
拙者はモノノフではござらぬが。w
こういった考察をしている事自体ももクロに感化され始めている証なのかもしれない。
ももクロ。(出逢い)
彼女たちを知ったのは深夜アニメだった。
この時間帯に声優でもないアイドルグループの CM が流れる、その理由を思い浮かべながら映像をながめていた。
彼女たちのダンスは何処か滑稽だった。
滑稽という表現は正しくないかもしれない、ただ、それぞれの動作が大袈裟でやたら目を惹くのだ。
この子たちは誰なのだろう。
可愛らしい珍獣を目にした時のような興味、好奇心みたいなものが湧いてくる。
そういえば、モーニング娘。も最初はこんな感じだった。
まるでマリオネットのようなギクシャクしたダンスをする彼女たちをただ眺めているだけで楽しかった。
一目惚れでなくてもいい、最初はとにかく振り向かせること。
娘。然り、ももクロ然り、それは彼女たちに課せられたアイドルになるための戦略なのかもしれない。